ラオス、ビエンチャンで思ったこと。
今はラオスのビエンチャンと言う町に来てる。
ここは首都なのにとても静かで落ち着いた街、ただ中国から抜けてきたこともあって、かなり暑いのと、ご飯が美味しくないのが残念。
中国でも日記を書くつもりだったんだけど、中国では書く気が起こらなかった。
中国に関してはまた改めて書こうと思う。
ラオスって大抵はバスターミナルと街の中心まで結構距離があって歩いては行けない。
だからトゥクトゥクっていうタクシーと交渉して連れてってもらうんだけど、この交渉って言うのが面倒くさいし大嫌いで、街の真ん中にドカンとバスターミナル作れよといつも思う。
でももしそうなったら、このトゥクトゥクの運転手のおっちゃん達の収入は大幅ダウンする。
当たり前のことだけど、便利になればなるほど人って要らなくなるよね。
もっと少ない人手で済むものにリプレイスされちゃうから。
日本人の仕事辞めた長期旅行者で多いのが医療系の資格を持った人たち。
彼らの仕事って機械にリプレイスされることは当分無いだろうし、誰でも出来る仕事じゃないから再就職も比較的容易にできるらしい。
自分は今物理の勉強をしていて、物理に関して言えば一般人は到底及ばないほど理解してる(当たり前か)、けどじゃあ実際問題として、働いて飯を食っていくときに
"あなたは簡単に他の物にリプレイスされない能力があるんですか?"
と聞かれると答えに詰まる。
だから医者や看護師、薬剤師、美容師など手に職付いてる人たちがすごい羨ましかったりする。
発展途上国を旅して思うのは、やってる仕事自体の難易度は大して変わらないのにどうしてこうも賃金が違うんだろうかということ。
去年旅費を稼ぐために日雇い労働や郵便局の夜勤をやったんだけど、あの仕事って本当に誰でも出来る。
誰でも出来るから低賃金なんだろ、って言われそうだけど世界的に見たら日給8000円ってかなりの高給だよ。
僕らがそんなに稼げる理由は、ただ単に日本に生まれたというアドバンテージだけ。
そもそも日本での仕事って、誰でも出来るものでも現状世界的に見れば異常なほどのお金をもらってる。
「いや、私はこの会社のシステムについて深く理解している」という人がいるかもしれない。
でももしこの先世界中がもっと均一なっていった場合、その能力は本当に重宝されるものなのだろうか。数年働けば誰でも出来る仕事じゃないだろうか。
今泊まっているビエンチャンのゲストハウスの従業員の給料は、日本の水準から言えば恐ろしく低いと思う。
でも彼らは英語で旅行者と難なくやり取りができる、別に英語ができるから素晴らしいとは全く思わないけど、世界的に見れば多くの日本の労働者よりは、使える人間じゃないのか。
最近よく既得権益なんて言葉を見るけど、世界的に見れば日本人と言うだけで既得権益保持者なんだなあと、旅行してて強く実感する。
だって何も考えずに周りと同じように生きてれば、美味しいご飯が食べて、暖かいシャワーを浴びて、ふかふかのベッドで寝ることが出来るんだから。
もしこの先、政府がグローバル化を推し進めていって、この既得権が打破される可能性を考えると、もうちょっと考えて仕事選び、日々の生活を考えていかなきゃいけないなと思う。