インターネットによる万能感と現実との乖離

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この前、旅したときの香港の写真。

旅行中はほとんど更新できなかったけど、結局中国はカシュガルからウルムチ西安、成都、昆明と来てラオスを通ってバンコクまで陸路で抜けた。

そして最後に香港へ寄って、日本へと戻ってきた。

旅の内容と写真は追々アップしていきたいと思う。

 

今回の旅では研究室から支給されたレッツノートを情報収集やSNSの更新、暇つぶし等々の用途で持って行った。

今までパソコンを持ち歩くと言う習慣すら無かったんだけど、今回の旅でその便利さに気付いて、日本に帰ってきてからも出かけるときは必ずパソコンを持って行かないと気が済まないという状態になった。

そこで今回のタイトルの話になる。

 

僕はこれまでも気分転換に街へ出て喫茶店や本屋なんかで勉強することが多かったんだけど、そのときは必要最低限のことをスマホでささっと調べる程度だった。

それが今では勉強しているときに目の前にパソコンがあるわけで、ついつい触ってしまう。

それによって勉強時間が削がれているのも十分問題なんだけど、もっと大きな問題はインターネットから離れて勉強を再開したときに感じる現実とのギャップ。

 

それはどういうギャップか。

ネット上ではほとんどの場合、努力という側面が書かれていない。

どういうことかと言うと手段と成果は詳細に書かれているのだけど、その二つを繋ぐために最も重要な日々積み上げていかなければならない非常に地味な努力が書かれていない。

いや、正確に言えば書いてあるのかもしれない、ただこの地味な努力と言うものが、よく書かれている手段や成果ほど追体験しづらく、それにインスパイアもされにくい。

 

僕は物理の勉強と英語の勉強、そして身体を絞るためのランニングを日々続けているのだけど、インターネットを見ればどうやって勉強すればどれだけ英語が上達するか、毎日走って食事に気を配ればどんな身体になるか、ちょっとググればその手段と成果はたくさん出てくる。

ただ最も重要である、毎日寝る前にちょっと単語帳を開いて単語を覚えることや寒い中やる気を振り絞って走りにいくこと、死ぬほど食べたいものを我慢することはほとんどの場合書かれておらず、たとえ書かれてあってもその努力を実感することは難しく、結果的に頭の中には残らない。

 

他にもネット上では色々なことを発信している人たちがいて、その発信もこれまでにその人たちがしてきた経験や努力の積み重ねの産物であり、それが生み出すまでに経てきた途方も無い時間を感じることほとんど無い。

さらに言えば他人のブログの記事だって毎日何気なく見ているけど、面白い記事がそう易々と書けるものでもないし、その手間や努力は一切見えない。

 

そういう努力が見えないような世界にいて、ふと現実に戻ったとき、目の前にある意味不明な物理の論文、一向に上達している気がしない英語力、昨日今日とでは全く変化があると思えない身体を見て、しばしば絶望的な気分になる。

毎日コツコツと積み重ねて行くことが大事であることは頭では分かっているのだけど、ほとんど成果のみで埋め尽くされたインターネット世界に浸っていると、毎日が小さなことの積み重ねである現実が酷くもどかしいものに思えてくる。

 

イチローの名言に

小さいことを積み重ねるのが、
とんでもないところへ行くただひとつの道だと思っています。

というものがある。

インターネットは便利だ。

何かやりたいと思ったら、その手段、有益な情報をすぐさま得ることが出来る。

それらは多くの場合事実である。
事実であるが、それを事実足らしめるのは非常に地味で小さな努力の積み重ねであることを忘れないように、自戒の念も込めて、明日からまた頑張って行きたい。

 

おしまい。